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目に映るもの

おはようございます。

カラリと晴れたいい朝です。

 

「こころ」といえば、誰しも一度は読んだことがある夏目漱石の小説です。

中学生(多分)の教科書にも載っていたし、

‘‘先生‘‘と‘‘K‘‘といえば、「あーそんなのあったなぁ」と思い出す方もいらっしゃると思います。

 

事の発端は、「100分de名著」での夏目漱石特集でした。

それを耳にして、

そういえば、以前の勤め先で高校2年生の女の子たちが「こころ」で大盛り上がり(およそ2時間の話題がそれであった)をしていたのを思い出し、

偶然その時に読んでいた「神様のカルテ」の主人公の愛読書が「草枕」と、

なんだか夏目漱石づいていたのです。

 

まずは、「文鳥・夢十夜」から入り「こころ」の再読にかかっている。

10代、20代、30代と、どうも夏目漱石は説教くさいまわりくどいと厭悪していたですが、

ようやく世の中の評価に私の感性も追いつき、

「夏目漱石ってすごーい」に今にしてなっている。

 

何がすごいって、描写の正しさ。

その描写を想像し頭に映像化していくとその登場人物の気持ちになれる。

人間というものは、目に映る物事をそのまま受け入れているんじゃないんだと思う。

その時々の気持ちによって見え方は、変わっていくのだ。

対象が人間であろうとその辺りの景色一つでも。

 

言葉で気持ちを表すとき、嬉しい、楽しい、悲しいと直截に表現するより、

その人の目に映る具体的な何かをその人の目を通して正しく描写する。

それは、難しくと美しい。

 

目に映るものそのものを表現する手段として、今はInstagramがある。

例えば空一つ切り取るにしても、

どの場面の空を切り取るかでそのアカウントの気持ちがわかる。

加工しないで、あるいは加工し具合でアップすることも表現方法の一つだ。

それを見て、同調して「いいね!」を押下したり、励ましのダブルタップをしたりするんだな。