
すぐそこにあるのに、なんとなく足を運んでない場所というのがある。
私にとっての下北沢はそうゆう街。
井の頭線がシモキタに停車するたびに、その町が出すパワーみたいなものが電車の中に入り込んでくる。流入といっていい。
不思議な町だと眺めていた。
そして、そうゆうエネルギーを持っている町に少し慄く。
この町に降り立つことはないかも、と思っていた。
そんなことを思うでもなく思っている矢先だった。
西からくる友人が、行きたい場所候補にシモキタを挙げてきた。
思い返してみれば、高校生の頃、やっぱり彼女の発案で西からこの地へ足を運んでいる。
あんなのを買った、あんなのも買ったと、うすらぼんやりと思い出す。
駅で待ち合わせして、スマホ片手に四半世紀前のお店はあるかなぁなんていいながら半日かけて歩き回る。
シモキタはカレー王国であり、ディープな個性的な店がそこらにある。
高校生だか大学生だかのグループが楽し気に古着屋へ入っていく。
そんなのを目にすると、高校生の頃の自分の視点になる。
高校生の頃の自分たちが、「不惑」を超えても同じ二人でシモキタに来て、
珉亭でラーメン食べて忌野清志郎さんのサインに吠え、
北澤八幡神社で吉良家の勧請によってやって!と騒いでいる様子を見ればたいそう驚くだろうな。
25年以上続いている友人関係と、
高校生の頃楽しんだ場所を大人でも楽しめる力を持っていることと、
そして変わってなくて変わっている自分たちに。
町も人も変わっても変わらないものがあり、変わらないのに変わっている。
変わらないことは変わること。
禅問答のようだけど。